「根っからの日本マニア、Roberto Calixto氏〜日本とブラジルの掛け橋に」

 現在、岐阜市科学館で夏の大アマゾン展が開催されている。哺乳類、魚類、鳥類、昆虫類の各ゾーンに別れた展示で、アマゾンの多種多様な生物に間近に触れることができる。またブラジルという国、文化、文学等を紹介する書籍類の販売も充実している。飛行機で24時間、地球のちょうど反対側に位置するブラジルを日本にいながらにして体験、観察できる千載一遇のチャンスといっていい。日本にはおよそ25万人の出稼ぎブラジル人が来ていると言われている。岐阜県で働き、生活するブラジル人も少なくない。またブラジルは世界最大の日系コロニアを持つ国である。にもかかわらず日本人のブラジルに対する知識といえば、サッカー、サンバ、カーニバルくらいなものだ。もっともっと日本人とブラジル人の文化を含めた相互理解が求められる中、このアマゾン展は日本人が遠くて近い国ブラジルを知ることのできるまたとない機会であろう。
 このアマゾン展を企画したブラジル人Roberto Calixto氏は根っからの日本マニア。彼は1999年にパートナーのClaudio Akiyama氏と共に、ブラジルを紹介する本「ブラジルへようこそ」を制作した。この本はブラジルを各地域ごとに分け、200ページ以上に渡ってたくさんの美しい写真と共にブラジルのすばらしさを日本語とポルトガル語で紹介している。
 非日系人である彼の日本との出会いは少年時代にまでさかのぼる。彼はサンパウロ州の南のパラナ州アラポンガスで生まれ育った。この州はブラジルでも最も日系人の多い地域の一つだ。今や日系人はブラジル社会に解け込み、彼らのブラジルへの貢献は非常に高く評価されているが、Roberto氏の幼い頃はまだまだブラジル社会に適応するのに苦労する日本人が多かった。
 ある時、彼は近所で桃を売っている日本人に出会う。これがRoberto氏にとって初めての日本人との出会いだった。どちらかといえば日本人というとブラジル人に比べればおとなしく、また言葉もろくに通じないブラジルのこと、彼らのおかれた状況はたやすいものではなかった。桃も売れず、言葉も通じずに困っているその日本人を見て、Roberto少年は「はいはい、日本人のおいしい桃だよ。甘くておいしい桃だよ。さあ、買った、買った!!」と大声で売って歩いた。Roberto少年の助けが功を奏し、瞬く間にその日本人の桃は売り切れ、彼の商売も軌道に乗っていった。同時にRoberto少年もその日本人との交流を通して、今まで全く知らなかった日本について興味を抱き始める。彼は言う。「子供の頃は金閣寺や清水寺の写真を見てよく心を躍らせていたよ!!」
 そして成長したRoberto少年は日系二世の女性と結婚する。桃売りの日本人はそのことを聞くと泣いて喜んだという。その後、奥さんと共にRoberto氏は日本に渡り、日本に8年間住むことになる。日本に渡る過程で様々な苦労があったが、彼の日本への熱い想いが彼を日本へと導いた。
 日本での8年が今のRoberto氏の活動の大きな原動力ともなっている。自分がお世話になった日本に恩返しがしたい、日本人に自分の祖国をもっと知ってほしい、ブラジルと日本の掛け橋となりたい。そんな彼の夢が1999年の「ブラジルへようこそ」の出版でついに実現する。彼は言う。「日本に住むブラジル人と日本人の間には事実、様々な葛藤も存在する。ゴミの分別の問題、深夜の騒音、ブラジル人児童がなかなか学校に馴染めない、地域住民との確執等。しかしそれはブラジル人、日本人双方の文化の違いも大きな原因となっている。ただ一方的に怒って注意するのではなく、ブラジルではこうだが、日本ではいけないだとか、教えてあげるだけでもぜんぜん違ってくる。逆にブラジル人ももっと日本の文化について知ろうと、また日本人との交流をもっと持とうと努力しなければならない。お互いの文化を尊重し、理解し合うことが最も大切なことなんだよ。」
 彼は日本のブラジル人児童の多い学校を訪ね、自分の本を配って歩いている。この本は日本人にブラジルを知ってもらうだけでなく、日本に長く住むブラジルの子供達に祖国を知ってもらうために、またブラジル人であることに自信と誇りを持ってほしいとの意味も込めて、日本語とポルトガル語で制作されたのである。
 日本とブラジルが大好き。日本とブラジルのために少しでも力になりたい。彼のこうした想いは着々と実を結びつつある。かくして、日本の地において母国ブラジルを紹介するアマゾン展も実現できた。Roberto氏は、2005年には愛知で開かれる世界博覧会ではブラジル部門を担当する予定だ。しかも、ブラジルの文化を紹介する新たな本の作成にも取り掛かっている。現在、彼は一年のうち三ヶ月は日本で、一ヶ月はブラジルといったサイクルで日本・ブラジル間を往復し続けている。家族はブラジル。「家族と離れ離れはさみしいけれど、今僕が止まったらせっかく今まで築き上げてきたものが台無しになってしまう。これからも日本とブラジルの掛け橋としてがんばっていきたい。」彼は笑顔でそう語った。ちなみに、少年時代に初めて出会った桃売りの日本人とは今も交流が続いているそうだ。


写真中央:「ブラジルへようこそ」の著者 Roberto 氏と共に
2001年、サンパウロの池田ホテルにて

 

研究員 青木義道

 

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