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「ジャズ・ボッサトリオの台頭した1960年代」
1.ジャズ・ボッサの誕生〜才能ある若きミュージシャンたち
ボサノヴァが最盛期を迎えていた1960年代初頭から中頃(一般にブラジルにおけるボサノヴァの最盛期は1958年〜1965年であったと言われる。)にかけては、その一方でボサノヴァよりも、よりジャズに近いタイプのジャズ・ボッサとよばれるジャンルの音楽が花開いた時代でもあった。
リオ・デ・ジャネイロのコパカバーナにあるドゥヴィヴィエール通り、通称「ベッコ・ダス・ガハーファス(酒瓶の袋小路)」にはいくつかのナイトクラブ(「リトル・クラブ」、「バカラ」、「ボトルズ・バー」等)があり、そこでは特に1950年代後半から、毎晩のように多くのミュージシャンたちによる熱いジャムセッションが行われていた。彼らの中には、アイルト・モレイラ、ヴィトール・アシス・ブラジル、ウィルソン・ダス・ネーヴィス、エウミール・デオダート、エヂソン・マシャード、エヂソン・ロボ、セルジオ・メンデス、チァォン・ネット、テノーリオ・ジュニオール、ドゥルヴァル・フェヘイラ、ドン・ウン・ホマァゥン、ドン・サルヴァドール、バーデン・パウエル、ハウルジーニョ、ベベート、ホジーニャ・ヂ・ヴァレンサ、ミルトン・バナナ、モアシール・サントス、ルイス・エサ、ルイス・カルロス・ヴィーニャス等、後にブラジル音楽を語る上で欠かせない数多の才能ある若きミュージシャンたちが存在していた。
2.ジャズ・ボッサトリオの台頭
1961年ごろになると、彼らはそれぞれ自己のグループを作って活動を活発に展開していった。このグループの形式はトリオ、クアルテット、キンテット、セクステット等様々であったが、最も多かったのがピアノ、ベース、ドラムスを基盤にしたピアノトリオ編成であった。彼らはモダンジャズに傾倒しながら特にアメリカのハードバップを研究し、ボサノヴァの名曲を彼ら流にアレンジした、よりハードな流れの音楽を演奏した。これがジャズ・ボッサと呼ばれる音楽である。初期のグループとしては、タンバ・トリオ、ボッサ・トレス、セルジオ・メンデス・セクステット等が有名である。これらのリオ出身のグループに負けじとサンパウロからも高いレベルのトリオがいくつも現れた。ピアニスト、セーザル・カマルゴ・マリアーノ率いるサンバランソ・トリオは、ジャズ・ボッサトリオの中で演奏・テクニックをとっても最も完成されたトリオの一つだと言われている。また、1963年に結成されたジンボ・トリオは、高いテクニックとジャズ色の強い演奏でグループ結成から40年が経過した今でも高い人気と信頼を勝ち得ている唯一のトリオである。そして1964年にセーザル・カマルゴ・マリアーノの脱退によって解散することになったサンバランソ・トリオは、新たにピアニストにマルチミュージシャンとして頭角を表しつつあったエルメート・パスコアルを迎え、サンブラーザ・トリオとグループ名を変えて活動を展開した。
1964年になると、彼らに続く多くのジャズ・ボッサトリオの活動がさかんになり、それぞれのトリオがコンサートやレコーディングをする機会を得ていった。それはちょうどボサノヴァがブラジルにおいて輝きを失いつつあった時期でもあった。こうして、ボサノヴァの歌手のバックを務め、リオの「ベッコ・ダス・ガハーファス」で腕を磨いてきた多くの若手ミュージシャンたちが一気に表舞台に出るチャンスを得たのである。「イパネマの娘」のレコーディングや数多くの歴史的セッションに参加し、常に裏方として活躍してきた名ドラマー、ミルトン・バナナも1965年にはようやく自己のトリオ、ミルトン・バナナ・トリオを結成し、以降多くのレコードを残した。リオにやってきたサンパウロ出身のピアニストのドン・サルヴァドールも、この時期ブラジルで最も忙しかったピアニストの一人と言えるであろう。彼は自己のドン・サルヴァドール・トリオ、さらにサルヴァドール・トリオ、そしてドラマーのエヂソン・マシャード率いるRIO65トリオや、ドラマー、ドン・ウン・ホマァゥン率いるコパ・トリオで活躍した。また、17歳にして天才的な演奏を披露し、一躍第一線に踊り出たピアニストのアントニオ・アドルフォ率いるトリオ3D、盲目のピアニストとして知られるマンフレッド・フェスト率いるマンフレッド・フェスト・トリオ、活動期間は短かったが伝説的なトリオとして今も語り継がれるジョンゴ・トリオも、忘れることのできない存在である。この時代にはこの他何十というピアノトリオが存在し、それぞれのテクニックを競い合い、しのぎを削っていたのである。それはまさにジャズ・ボッサの黄金期であった。しかし、1966年以降、ジャズ・ボッサへの需要は急激に低下し、ミュージシャンたちの活動の場が失われていくことになった。
3.ボサノヴァ、ジャズ・ボッサの低迷〜
歌謡音楽祭、軍事政権誕生、ビートルズ、ボサノヴァからMPBへ
この急激なジャズ・ボッサの低迷にはいくつかの原因が考えられる。一つは1964年からさかんに行われるようになった歌謡音楽祭の存在である。舞台はすでにリオ・デ・ジャネイロからサンパウロへと移りつつあった。テレビの普及により、生放送で毎週のように行われる歌謡音楽祭を映すコンサート形式の番組は、最も大衆的かつ国民的な番組となった。本来、歌ものを好むブラジル人にとってはこのような番組は待ちに待ったものであった。その歌謡音楽祭から出てきてこの後のブラジル音楽の流れを決定づける役割を果たすのが、ブラジル史上最高の歌手といわれるエリス・ヘジーナである。彼女はボサノヴァが国内で斜陽しつつあった1964年にデビューを果たし、この後続くMPB(ブラジリアン・ポピュラー・ミュージック)と呼ばれる新しいタイプの音楽の牽引者となった。MPBのP「Popular」はポルトガル語で「大衆的な、庶民的な」と言う意味で、中産階級層によって主に支持された、言うなればエリートのための音楽であったボサノヴァに対して、より幅広い庶民レベルの音楽という意味が強く含まれているようにみえる。そんなMPBの歌姫であるエリス・ヘジーナは、まだ世に知られていなかった多くの才能あるMPBの若手コンポーザーたちの曲を歌いヒットさせ、そのおかげで若手コンポーザーたちにも注目が集められるようになり、MPBの発展の原動力となった。彼女の歌はダイナミックで力強く、聞くものを魅了するカリスマ的なものであった。彼女の出現によって、主に中産階級層に支持されてきたボサノヴァやジャズ・ボッサが過去の産物となるにはそう時間はかからなった。彼女が司会をして歌も歌った「オ・フィーノ・ダ・ボサ(ボサの真髄)」と呼ばれる人気番組などは、ボサノヴァからMPBへの世代交代の場となったと言っても過言ではない。また、エリス・ヘジーナのデビューした1964年はブラジル国内で軍事クーデターが企てられ、軍事政権が誕生したのと同じ年であった。以後約20年に渡ってブラジルは軍事政権の下で暗い時代を迎えることになるのであるが、そのような時代に非社会的で、政治色も薄いボサノヴァ(ボサノヴァは中産階級者たちの気ままな生活やリオの景色、海、女性などを歌ったものが多かった。)は当然受け入れられなかった。求められたのは国の現状や体制批判といった内容を歌う、大衆レベルのプロテストソングであった。このころから、「ボサノヴァのミューズ」と呼ばれたナラ・レオンやカルロス・リラといった代表的なボサノヴァアーティストまでもがプロテストソングを歌うようになっていった。当然、インストゥルメンタルミュージックであるジャズ・ボッサも全くの時代遅れとなった。二つ目には、当時世界的にヒットしていたビートルズの人気がブラジルにも押し寄せたことである。ブラジル国民も他の国の人々同様にビートルズに夢中になり、また、サウンド的にもエレクトリックミュージックを求めるようになった。ボサノヴァ時代のアコースティックサウンドはもう古いものとされ、ミュージシャンたちにとってもピアニストはキーボードを、ドラマーはパーカッションを叩いて時代の流れについていくしかなかった。
興味深いことに1966年、マンフレッド・フェスト・トリオが「オス・サンビートルズ」というグループ名でビートルズナンバーをジャズ・ボッサアレンジで演奏していて、当時のビートルズの影響力の大きさを物語っている。
4.ジャズ・ボッサを演奏していたミュージシャンたちのその後
1966年以降、ジャズ・ボッサトリオを率いてきたミュージシャンたちにとってはまさに突然の冬の時代の到来であった。ある者は新しいMPB世代のミュージシャンのバックミュージシャンとしての仕事につく者もいた。ただし、彼らがみな好待遇を受けたというわけではなく、ほとんどが肩身の狭い思いをしなければならなかった。サンバランソ・トリオのピアニストであったセーザル・カマルゴ・マリアーノは、トリオ解散後ソン・トレス等を経てエリス・ヘジーナと結婚。1970年代は彼女のアレンジャー、兼ピアニスト、キーボードプレイヤーとして活躍することになる。また、ある者はブラジル国内における希望を失い、国外へと渡った。バーデン・パウエルはフランスへ、エヂソン・マシャードはデンマークへと渡った。アメリカにはアイルト・モレイラ、エウミール・デオダート、セルジオ・メンデス、ドン・ウン・ホマァゥン、ドン・サルヴァドール、ハウルジーニョ、ホジーニャ・ヂ・ヴァレンサ、モアシール・サントス等多くのミュージシャンたちが可能性を求めて旅立った。彼らの中にはアメリカで新たな自分の居場所を見つけ活躍する者もいたが、アメリカナイズされてしまってブラジル人としてのアイデンティティを失ってしまう者もいた。
このように、ジャズ・ボッサはわずか五年あまりの短命なものであった。しかし、ブラジル音楽史上インストルメンタルミュージック(主にジャズ、ジャズ・ボッサ)がここまでシーンの先端に立ったことはかつてなかった。また、上記の海外に渡ったミュージシャンの中にはアメリカで活躍し、その後の音楽シーンに大きな影響を与えた者も存在する。セルジオ・メンデスは自身のグループ、セルジオ・メンデス&ブラジル65、66等を率いて1960年代から現在に至るまでアメリカ音楽シーンで活躍している。アイルト・モレイラはエルメート・パスコアルたちとのクアルテット・ノーヴォを経て、1968年にアメリカに渡り、1970年代以降、マイルス・デイヴィス、チック・コリア、ウェザー・リポートなど世界的なミュージシャンたちとの共演を通して、アメリカにおけるフュージョンブームの火付け役となった。また、盟友エルメート・パスコアルをアメリカに呼び寄せてアメリカデビューの機会を与えるなど、世界にブラジル音楽を伝える伝道師的な役割も果たしている。
5.ボサノヴァからMPBへ
ボサノヴァに代わってシーンを担うようになったMPBは、国民的歌手エリス・ヘジーナの活躍とともに大きく飛躍していくことになる。1965年以降サンパウロでは数多くの歌謡音楽祭が開かれ、エリス・ヘジーナに続く多くの有望な若手アーティストが登場していった。
バイーア出身のカエターノ・ヴェローゾとジルベルト・ジルも歌謡音楽祭から世に登場したボサノヴァ以降のブラジル音楽をリードしていくMPBのミュージシャンたちである。彼らは若い頃ジョアン・ジルベルトに憧れ、ボサノヴァを聞いて育った。それと同時にビートルズやローリングズトーンズ等海外のアーティストにも興味を持ち、ジャンルを越えたブラジル独自の革新的な音楽の構築を目指すようになった。つまり、彼らはボサノヴァを否定したわけではなく、その延長線上にボサノヴァやすべての音楽を取り込むような新しい音楽を試みようとした。この試みは1966年〜1968年に起こるトロピカリズモ運動へと広がっていくことになる。
折りしも、軍事政権がブラジルという国をす統べていた時代である。軍事政権は文化人や芸術家をはじめ多くの人々を弾圧していった。ミュージシャンたちは歌詞など、音楽を通して国を批判し、軍事政権と戦うようになった。多くのミュージシャンたちが検閲にかかり、牢獄に入れられた。そうした政治的、社会的な抑圧の下でMPBは独自に発展・進化していくことになった。
2003年8月4日
研究員 青木義道
BIBLIOGRAFIA(参考文献)
Enciclopedia da musica brasileira,/ART EDITORA, Itau cultural/
1998
クラウス・シュライナー著・中村とうよう監修/ブラジル音楽のすばらしい世界/ニューミュージック社/1979
ルイ・カストロ著・国安真奈訳/ボサノヴァの歴史/音楽之友社/2001
ルイ・カストロ著・国安真奈訳/ボサノヴァの歴史外伝 パジャマを着た神様/音楽之友社/2003
レジーナ・エシェヴェヒア著・国安真奈訳/台風エリス/東京書籍/2002
中原仁編/ブラジリアンミュージック/音楽之友社/2000
クリス・マッガワン他共著・武者小路実昭他共訳/ブラジリアン・サウンド/シンコーミュージック/2000
宮坂不二生監修/ボサノヴァ・レコード事典/ボンバ・レコード/2001
ジャズ・ボッサトリオの台頭した1960年代
★代表的なジャズ・ボッサトリオとその活動年代
1961−1965(第1期)
1965−1966(第2期) |
ボッサ・トレス |
ルイス・カルロス・ヴィーニャス(ピアノ)、チアォン・ネット(ベース)、エヂソン・マシャード(ドラムス)
第2期:ルイス・カルロス・ヴィーニャス(ピアノ)、オターヴィオ・バイリー(ベース)、ロニー・メスキータ(ドラムス)
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1961―1964(第1期)
1966−1968(第2期)
1970−1975(第3期) |
タンバ・トリオ |
ルイス・エサ(ピアノ)、ベベート(ベース)、エルシオ・ミリート(ドラムス)
第2期:ルイス・エサ(ピアノ)、ベベート(ベース)、ルーベンス・オアーナ(ドラムス) |
| 1962−1964、1965 |
サンバランソ・トリオ |
セーザル・カマルゴ・マリアーノ(ピアノ)、ウンベルト・クライベール(ベース)、アイルト・モレイラ(ドラムス) |
| 1963― |
ジンボ・トリオ |
アミルトン・ゴドイ(ピアノ)、ルイス・シャービス(ベース)、フビーニョ・バルソッチ(ドラムス) |
| 1964−1965 |
サンブラーザ・トリオ |
エルメート・パスコアル(ピアノ、フルート)、ウンベルト・クライベール(ベース)、アイルト・モレイラ(ドラムス) |
| 1964−1968 |
トリオ3D |
アントニオ・アドルフォ(ピアノ)、カーショ(ベース)、ネルソン(ドラムス) |
| 1964―?(第2期) |
コパ・トリオ |
ドン・ウン・ホマァゥン(ドラムス)、ドン・サルヴァドール(ピアノ)、マヌエル・グスマゥン(ベース)
第1期(1955―?):ドン・ウン・ホマァゥン(ドラムス)、トニーニョ(ピアノ)、マヌエル・グスマン(ベース) |
1965―1966(第1期)
1970―?(第2期) |
ジョンゴ・トリオ |
シド・ビアンキ(ピアノ)、サバー(ベース)、トニーニョ・ピニェイロ(ドラムス)
第2期:トニーニョ・ピニェイロ(ドラムス)、ウンベルト・クライベール(ベース)、パウロ・ホベルト(ピアノ) |
| 1965―1971 |
ソン・トレス |
セーザル・カマルゴ・マリアーノ(ピアノ)、サバー(ベース)、トニーニョ・ピニェイロ(ドラムス) |
| 1965―1975 |
ミルトン・バナナ・トリオ |
ミルトン・バナナ(ドラムス)、シド・ビアンキ(ピアノ)、マリオ(ベース) |
| 1965―? |
ドン・サルヴァドール・トリオ |
ドン・サルヴァドール(ピアノ)、エヂソン・ロボ(ベース)、ヴィクトール・マンガ(ドラムス) |
| 1965―1966? |
Rio65トリオ |
エヂソン・マシャード(ドラムス)、ドン・サルヴァドール(ピアノ)、セルジオ・バホーゾ(ベース)、 |
| 1966― ? |
サルヴァドール・トリオ |
ドン・サルヴァドール(ピアノ)、セルジオ・バホーゾ(ベース)、エヂソン・マシャード(ドラムス) |
| 1965−1967 |
マンフレッド・フェスト・トリオ |
マンフレッド・フェスト(ピアノ)、マチアス・マットス(ベース)、エイトール・グイ(ドラムス) |
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