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1.エルメート・パスコアル:音の神様
唯一無二のアーティストとでもいおうか。あまたに存在するブラジル人ミュージシャンの中でも一際異彩を放ち、ブラジル音楽を語る上で看過し得ない存在である。長い白髪に顔を覆うかのような真っ白の髭はあたかも南国のサンタクロースをも思わせる。小柄な体格にもかかわらずその存在感はさながら巨人のようである。そして彼はピアノ、ギター、パーカッション、アコーディオン、フルート、サックス、トランペット等ありとあらゆる楽器を操る世界に類を見ないマルチミュージシャンである。また、身の周りのあらゆる物を楽器にしてしまう、常人では考えられないようなその閃きとイマジネーションは、彼を一ミュージシャンといった枠におさめることができない。
エルメート・パスコアルは、ブラジル北東部のアラゴーアス州のラゴーア・ダ・カノーアという地域で生まれた。1936年6月22日のことである。年中真夏の旱魃地帯として有名なこの地は、ブラジルで最も貧しい州の一つといわれている。アコーディオン奏者であった父親の影響で、7才の時にアコーディオンを手にしたのが彼の最初の楽器との出会いだといわれている。11才にしてはや、弟のジョゼー・ネットと共に地元のダンスパーティー等で演奏をしていた。1950年、彼が14才の時、家族がペルナンブーコ州ヘシーフェに引っ越したのを機にラジオ番組で演奏を始める。そして1958年、22才でリオ・デ・ジャネイロへと渡った。ここでもまたラジオ番組等で活躍、その後1961年に商業都市サンパウロへ。サンパウロでは数多くのナイトクラブで数多くの音楽を演奏することになる。ちょうどこのころ、彼はフルートを手にし、演奏を始める。今では数え切れない数の楽器を演奏し、天才と称される彼であるが、このころの彼の音楽への執念は相当なものであったようで、フルートをマスターするために休憩時間にナイトクラブを飛び出し、誰もいない静まり返った深夜の教会で一人フルートの練習をしていたそうだ。しばらくして警備員に見つかり、注意を受けた彼は、ナイトクラブのトイレに篭ってフルートをマスターしたという逸話が残されている。その余りある才能に加えて、音楽に対するそのような真摯な姿勢が彼を世界的に知られるトップアーティストに仕立てあげたのであろう。
サンパウロのナイトクラブで活動する傍ら、彼はソン・クアトロというグループを経て1964年、伝説のサンブラーザトリオを結成する。このトリオはピアノ、アコーディオン、フルートにエルメート・パスコアル、ベースにウンベルト・クライベール、ドラムには後にアメリカ進出を果たし、ブラジルのパーカッションを世界に知らしめることになるアイルト・モレイラによって構成されていた。バンドは一年足らずで解散することになるが、彼らの残したジャズ色の強い唯一のアルバムは現在も高い評価を受ける名盤である。その後北東部の伝統的リズムを取り入れた革新的グループ、クアルテート・ノーヴォにピアニスト兼フルート奏者として参加。グループは1968年、パーカッショニストのアイルト・モレイラの渡米により解散してしまうのであるが、このグループがブラジル音楽史に果たした功績は大きい。そして1971年、エルメートは先にアメリカに渡って成功を収めたアイルト・モレイラの誘いで渡米してジャズの帝王マイルス・ディヴィスの歴史的名盤Live
Evilの録音に参加。ここで彼は自作の曲を2曲提供した。同年、盟友アイルト・モレイラとその妻で歌手のフローラ・プリンのプロデユースの下、ニューヨークで最初のリーダーアルバムを製作。この年、彼のアレンジ等が評価され、彼の曲はその年の最優秀作品の一つとしてイギリスの批評家によって激賞された。翌年アメリカ、メキシコツアーを終えたエルメートは、彼の故郷ブラジルに戻る。そして同年の1972年、念願のブラジルでの初のリーダーアルバムA
MÚSICA LIVRE DE HERMETO PASCHOALを発表。この年の最優秀ソロアーティストに選ばれ、翌年には最優秀アレンジャーの栄冠を手にする。1974年には再びアメリカに渡り、アメリカとブラジルを拠点に活動を展開する。そして1979年、世界的一大イベントであるスイスのモントルージャズフェスティバルに参加。この時のライブの模様は二枚組のライブアルバムとして発表され、世界的に評価されたこのアルバムは彼の代表作となっている。同年来日し、ジャズサックス奏者の渡辺貞夫と共演。以後、ブラジルを拠点としながら、精力的に活動している。
1996年には一年間、一日一曲を作曲するという一大プロジェクトを敢行。この楽譜集は「音のカレンダー」という名で一冊の本として刊行されており、多くのエッセンスのつまったこの本は彼の音楽人生の集大成といえよう。この本の中で多くの著名人が彼に対して絶大な賛辞の言葉を送っている。エルメートと同じく渡米し、マルチな才能でも世に知られるシヴーカはエルメートを「20世紀のヴェートヴェン」と称している。またこの年、エルメートはシャープの最優秀インストゥルメンタルアレンジャーの栄冠を手にする。1999年にはあらゆる楽器を使った完全ソロアルバムEu
e Elesを発表。マルチプレーヤーぶりを改めて世に見せつけた。
このように稀代の天才エルメート・パスコアルは、その類まれなる創造性からビン、ナベ、缶などの日常の物から玩具、果ては豚などの動物まで使って独自の楽器に仕立て上げてしまう。驚くべきことに彼は全て独学で自分の音楽を構築してきたことである。そんな彼はブラジル、いや世界中で最もクリエイティブなアーティストといえよう。
2001年留学中、サンパウロのSESCヴィラマリアーナで10月6日、7日の二日間行われた彼のショーに両日とも参加した私は、彼の卓越した演奏能力、突出した個性、そして何よりも人を楽しませるといったエンターテイメント精神に大きな衝撃を受けた。他方、観客層も子連れの家族、恋人、老夫婦など老若男女を問わない人々が一体となって、奇跡ともいえる彼のショーを楽しんでいたのが大変印象的であった。それはまさに人のあらゆる神経、そして五感をいたく刺激するものであった。私は、もしこの世に音楽の神様が存在するとすれば彼のような人のことを指すのだろうと心から思った。それは今までの私には体験したことのない世界であった。彼のショーは、人生の喜び、またその可能性を無限に広げてくれるものを具えている。66才になった今も彼は多彩な公演等を通して、世界中に音の宝石を散りばめている。
研究員 青木義道
2003年2月5日
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