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2.アイルト・モレイラ:音の伝道師
今やブラジル音楽は世界的に高く評価されるものの一つとなった。従って、アメリカ、ヨーロッパ、日本を始め世界で活躍するブラジル人ミュージシャンも数多く存在する。一方で、ブラジルを離れ、他の国で演奏することによってブラジル音楽の持つオリジナリティーを忘れ、その時代の流行の波に呑まれてしまっているアーティストも少なくない。アメリカは世界で最も多くのブラジル人ミュージシャンが活躍する地域の一つである。それだけに逆に、アメリカナイズされてしまって独自の個性を失っているミュージシャンも多い。そんな中、ブラジル音楽をベースに30年以上も主にアメリカジャズ界の第一線で活躍し、独自のスタンスを突き進んでいるのがこのアイルト・モレイラである。
1941年8月5日、彼はサンタ・カタリーナ州、イタイオーポリスという街で生まれ、パラナ州の州都クリチーバで育った。7才の時にポンタ・グロッサ市のラジオ曲に歌手として入り、その傍ら、ピアノ、ヴァイオリン、マンドリンの修得に励んだ。1954年、13才の時にプロとなり、周辺地域での活動を経て、続く2年間はクリチーバのナイトクラブで演奏していた。その後、拠点をサンパウロの港町サントス、そしてサンパウロへと移し、パーカッショニスト、ドラマー、歌手として積極的に活動を始めた。1950年代後半にはブラジル各地を巡り、北東部の独特のリズムサウンドを身につけた。
1962年、ピアニストにセーザル・カマルゴ・マリアーノ、ベーシストにウンベルト・クライベールを迎えて、多くのジャズトリオが台頭した当時最も完成されたジャズ・ボッサトリオとして評価の高いサンバランソトリオのドラマーを務める。同トリオで活動する傍ら、アイルトはその他数多くのセッション、録音にも精力的に参画する。そして1964年、ピアノのセーザル・カマルゴ・マリアーノが抜け、新たにピアニストとして鬼才エルメート・パスコアルを迎えて、トリオはサンブラーザトリオと名前を変える。その後、幻のグループ、クアルテート・ノーヴォにパーカッショニストとして参加。その斬新なサウンドと北東部のリズムをうまく取り入れた革新的なグループはブラジル音楽史に今も語り継がれる伝説となっている。
そのアイルトにとって一大転機が訪れる。恋人で後に妻となる歌手のフローラ・プリンの渡米である。一もニも無くアイルトは、祖国ブラジルを飛び出し、恋人を追ってアメリカに渡ることを決意する。1968年、彼が27才の時であった。渡米してからの生活は彼にとって容易なものではなかった。そんな中、しばらくしてマイルス・デイヴィスからの誘いで録音に参加。その後彼自身のバンドを結成するに至る。ここから彼のアメリカでのキャリアが始まったといっていい。
マイルス・デイヴィス、チック・コリアといった世界トップレベルのアーティストたちとの共演により、徐々に彼の名前は全米に知られていくことになった。その結果彼はついにダウンビート誌で最優秀パーカッショニストの称号を手にする。そして彼は1973年以降20回以上もこの栄冠を手中にすることになる。こうして1970年代、彼はアメリカで最も売れっ子のパーカショニストとして不動の地位を築いた。この時期、クインシー・ジョンーズ、ハービー・ハンコック、ウェザー・リポート、ポール・サイモンを始め数多くのミュージシャンとも共演。多くのサウンドトラックの作成にも携わった。その後、現在に至るまで、活動の輪をヨーロッパ、北米、南米、日本と世界に広げている。ショーの傍ら大学や、学校でワークショップを開いたり、後進の指導も積極的に行っている。
アイルト・モレイラの、世界の音楽シーンとりわけアメリカジャズ界に果たした役割は計り知れない。渡米と同時に数多くのブラジリアンパーカッションをアメリカに持ち込み、ジャズ、フュージョンにおけるパーカッションの可能性を大いに広げた。のみならず、ブラジル音楽の独特のリズムサウンドで多くのミュージシャンを驚嘆させ、ブラジル音楽の多様性を世界に伝えた彼の功績は言葉では言い表せない。他方、彼の盟友であり、マルチミュージシャンであるエルメート・パスコアルをアメリカに呼び寄せ、マイルス・デイヴィスに引き合わせたのも彼である。この出会いから歴史的名盤Live
Evilが生まれた。ブラジル国外、とりわけアメリカを中心とした世界を舞台に活躍する彼であるが、残念ながらブラジル国内では無名に等しい存在だ。しかし、70年代にブラジリアンパーカッションの多様性を世界にいち早く伝える努力をした彼なくしては、現在世界中の注目を集めることになったブラジル音楽を語ることはできないのではないか。ブラジル国民は早くからブラジル音楽の伝道師としてアメリカに渡り、今も現役の第一線で活躍するこの真のブラジレイロに敬意を表するべきである。例年のように日本にコンサートに訪れる彼のライブにおけるパンデイロソロからは、自分がブラジル人であることへの自信と誇りがひしひしと伝わってくる。
研究員 青木義道
2003年2月6日
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