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4.エグベルト・ジスモンチ:音の先駆者(パイオニア)
ブラジルが誇る世界的なマルチプレーヤーであるエルメート・パスコアルと常に並び称される、ブラジルインストゥルメンタルミュージックのもう一人の巨人エグベルト・ジスモンチ(Egberto
Gismonti)は、1944年12月5日にリオ・デ・ジャネイロのカルモという田舎町でレバノン人の父とイタリア人の母の間に生まれた。生粋の音楽一家に生まれた彼は、若干5才にしてリオのノーヴァ・フリブルゴ音楽学院に通い始めた。そして、クラシックピアノをジャック・クライン,アウレーリオ・シウヴェイラの両氏に師事し、15年間学んだ後、1967年に奨学金を得てウィーンに音楽留学した。
1968年10月には、リオのテレビ・グローボ主催の第三回国際歌謡祭に自作の"O sonho"を携えて参加し、オス・トレス・モライスによって演奏されたこの曲は高い評価を受けることになった。同時期に彼はヨーロッパに渡り、フランスではジャン・バラケ、そして、クインシー・ジョーンズに音楽を教えたことでも知られるナディア・ブーランジェ女史に師事し、管弦学法と作曲を学んだ。1969年からはフランス人歌手のマリー・ラフォレのアレンジャー、そして彼女のオーケストラの指揮者として活動した。一年半の活動後、彼はイタリアのサン・レモフェスティヴァルに出演し、ヨーロッパで初めてのコンサートを行った。
1969年にはファーストアルバム"Egberto Gismonti"をエレンコレーベルからリリースし、自作曲"O
sonho"やパウロ・セルジオ・ヴァーリとの共作"Prum samba a Alerta"を歌っている。このファースト・アルバムでは、早くも彼らしい実験的な音楽も導入されていて非常に完成度も高く、処女アルバムにして彼の代表作である。1970年にはヨーロッパツアーも行い、フランスで2枚のシングル盤、そしてドイツ、イタリアでも計2枚のアルバムをリリースした。ヨーロッパでの活動に平行して彼はブラジル国内においても積極的に活動を展開していく。1969年にはフェルナンド・アマラウ監督の映画"A
penúltima donzela"、1971年にはパウロ・ポルト監督の"Em família"、ブラス・シュディアキ監督の"Confissões
de frei Abóbora"等のサウンドトラックを担当した。
そして、同時にアルバムも立て続けに発表していった。1976年には北東部のヘシーフェ出身のパーカッショニスト、ナナ・ヴァスコンセロスとのデュオアルバム"Dança
das cabeças"を発表。このアルバムは計20万枚以上のセールスを記録し、国際的にも激賞され名声を得た。1978年に発表した"Sol
do meio-dia"では、サックス奏者のヤン・ガルバレク、ギタリストのラルフ・ターナー、パーカッショニストのコリン・ウォルコットらと共演した。翌年発表のアルバム"Solo"では全米で10万枚の大ヒットを記録する。1981年発表の"Mágico"では、ベースにチャーリー・ヘイデン、サックスにヤン・ガルバレクを迎えて製作された。そして自身のグループ、アカデミーア・ヂ・ダンサスを率いて、二枚組アルバム"Sanfona"もリリースし、積極的に録音、コンサートを展開していった。
1985年には、彼の生涯に渡る盟友ナナ・ヴァスコンセロスと再び共演。そして1989年発表の"Dança
dos escravos"では、6弦、10弦、12弦、14弦の4本の異なるギターを使ってその天才的なギターテクニックを思う存分見せつけた。この他にもあまたの名盤を発表し、エグベルト・ジスモンチは多くのミュージシャンから崇拝される世界的なアーティストの一人となった。
彼は作曲家、歌手、アレンジャーだけでなく、ピアノ、エレクトリックピアノ、オルガン、シンセサイザー、そしてギターまでも天才的に操る他、数多の民族楽器を使いこなす稀代のマルチ・ミュージシャンとして、冒頭でも述べたようにブラジルが誇る鬼才エルメート・パスコアルと常に並び称されるブラジル音楽界の鬼才中の鬼才である。
興味深いことに、全て独学で唯一無二の音楽世界を構築してきたノルデスチーノ(北東部出身者)のエルメート・パスコアルに対し、一方のカリオカ(リオ・デ・ジャネイロ出身のリオっ子)のエグベルト・ジスモンチは、幼少の頃よりクラシックを学び、ウィーン留学も経験するなど徹底した音楽教育を受けた、言わばエリートである。刮目すべきは、そんなクラシック音楽を基盤に持つエグベルト・ジスモンチが、クラシックの枠にとらわれることなく、あらゆる音楽を取り込むような、自由で幅広い音楽の世界を創造していることである。このことは、パリでの恩師ナディア・ブーランジェ女史による影響が少なくないようだ。幼少の頃から徹底したクラシックの教育を受け、ヨーロッパにもクラシックを学びにきていた彼に、ナディア女史は、ヨーロッパ音楽の単なる模倣ではなく、祖国ブラジル的な要素を取り入れた独自の音楽の追及を促したようである。帰国後、彼はジャズ、ボサノヴァ、サンバ、ショーロ等、ありとあらゆるポピュラー・ミュージックを採り入れ、また、1977年にはアマゾンのジャングルに入り込み、インディオたちとの交流を通して彼自身のブラジル観を表現して見せた。
シンセサイザー等の電子音楽を中心とした実験的音楽を幅広く採用し、アグレッシヴに新しい音の世界を展開するエグベルト・ジスモンチは、時には異端児的存在として見られることもあるが、常に心の奥底には祖国ブラジルを表現しようとする真摯な姿勢が感じられる。また、長きに渡ってヨーロッパの影響下にあったブラジルの音楽にブラジル性を付加し、ブラジル音楽に一大革命をもたらした「ブラジル音楽の父」エイトール・ヴィラ=ロボス、そしてボサノヴァの産みの親として崇拝されるアントニオ・カルロス・ジョビンも常にブラジル的な音楽を模索し続けた。エイトール・ヴィラ=ロボスに当たっては、真のブラジル性を表現するためにインディオの文化の重要性を強く主張した人としてつとに知られる。
ブラジル人であることを根底に持ちながらも、一定のジャンルにとらわれない自由で幅広い独特の音楽の世界を持つ彼への国際的評価は極めて高い。圧倒的なピアノ、ギターテクニックに遊び心いっぱいの彼のパフォーマンスからは、ジャンルを越えたエグベルト・ジスモンチの音の世界が感じ取れる。
BIBLIOGRAFIA(参考文献)
Tárik de Souza, Elifas Andreato / Rosto e Gostos da Música
Popular Brasileira / L & M Editoras / 1979
Enciclopédia da música brasileira / ART EDITORA, Itáu Cultural
/ 1998
クリス・マッガワン他共著、武者小路他共訳/ ブラジリアン・サウンド/ シンコーミュージック/2000
中原仁編/ ブラジリアン・ミュージック/ 音楽之友社/ 2000
麻生雅人監修/ Brasilian Music / シンコーミュージック/ 2002
Música LocoMundo編/ ムジカロコムンド / アスペクト/ 2000
研究員 青木義道
2003年12月14日
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