「ロマン主義から写実主義への過渡期に生きたコンドレイリズモ詩人」

はじめに

 1822年の植民地本国ポルトガルからの政治的独立の過程と密接に結びつき、様々な歴史学者によって真の国民文学の始まりと見なされる、ブラジル・ロマン主義時代後期に(19世紀の60、70年代)、フランス人作家ヴィクトル・ユゴーの影響を受けた詩人たちは社会的、政治的なテーマを扱った。コンドレイリズモ詩人[1]と呼ばれる彼らは、ヨーロッパでは被抑圧者である労働者階級の支持者となり、一方、ブラジルにおいては奴隷制廃止論や共和制思想を作品に採り入れた。
 ブラジルで黄金法によって奴隷制が廃止される(1888年)以前に、文学界で活躍したのは、ロマン主義・第三世代に属し、"奴隷詩人"となったカストロ・アルヴェスやペドロ・ルイース、ペドロ・カラザンス、そしてソウザンドラーデたちである。その中でもカストロ・アルヴェスの社会詩は傑出している。本稿ではさらにソウザンドラーデについても言及し、写実主義への移行期に当たるこの世代の詩が果たした役割を読み説きたい。

"奴隷詩人"カストロ・アルヴェス

 ブラジル最大のコンドレイリズモ詩人と見なされるアントニオ・フレデリコ・デ・カストロ・アルヴェスは、1847年3月14日、バイーア州のクラリーニョ市(現在のカストロ・アルヴェス市)に医者の息子として生まれ、出生地で初等教育を受けた後、法学を学ぶためにレシーフェへ移った。そこでポルトガル人女優エウジェニア・カーマラと出会い、恋に落ちる。この頃にはすでに、アルヴェスは、トビアス・バレットとともに奴隷制廃止運動を展開していた。
 1867年、20歳のアルヴェス青年はカーマラを連れて、サルヴァドールへと向かい、彼女に捧げる戯曲『ゴンザーガ』と『ミナスの革命』を上演した。翌年、ラルゴ・デ・サン・フランシスコ大学法学部に編入するため、エウジェニア・カーマラと同僚のルイ・バルボーザを伴って、サンパウロへと出発する。そこで9月7日の独立記念日に戯曲的叙事詩「黒人奴隷船」を発表。詩集『奴隷たち』(1883年)に収められているこの詩は、奴隷貿易を禁止したエウゼービオ・デ・ケイロス法施行後も、依然として国内に存在する奴隷制とアフリカ黒人搬入の問題がテーマとなっている。少年時代にバイーアで見た奴隷たちの姿に想を得て、カストロ・アルヴェスは黒人奴隷船の船倉における黒人輸送の壮絶な光景を詩でもって表現した。

大地が太陽の光を受ける
砂漠の息子たち。
広大な平原で
何もない裸の男たち...
体に斑点のあるトラのように
勇敢な戦士たち、
彼らは孤独に戦う...
素朴で、たくましく、勇ましい男たち...
今は光も、空気も、道理もない...
哀れな奴隷たち

アガール[2]がそうであったように、
渇ききった喉に、疲れ果てた体で、
遠くから、実に遠くから来る
不幸な女たち。
腕には手錠をかけられ、
無気力な歩調で子供たちを連れて来る
心には――――涙と苦悩。
アガールが苦しみ、悩んだ
悲嘆の乳を
イズマエルに与えなければ...

(拙訳)

 世界の大きな社会変動(コントの実証主義、ダーウィンの進化論、君主制の衰退、パラグアイ戦争、共和制思想)の影響を受けて、カストロ・アルヴェスは「アフリカの声」、「家庭における悲劇」などの社会詩を書いた。そして、ブラジルに存在するあまたの問題を解決するためには共和制を取り入れる必要があるとの考えから、君主制を打倒することと、奴隷制廃止運動に向けて献身した。
 サンパウロに移った年の暮れ、狩猟の間、肩にかけていた銃で思いがけなく足を怪我する。1869年、手術のためバイーアへ戻らざるを得なくなり、結果的に足を切断、同時にレシーフェにいた時から始まっていた肺結核の症状も悪化。そして、1871年、7月6日午後3時30分、太陽の光が差し込む窓の側で、詩人は24年という短い人生を終えたのである。

ソウザンドラーデ

 ジョアキン・デ・ソウザ・アンドラーデまたはソウザンドラーデ(彼自身、この名で呼ばれるのを好んだ)は1833年、マラニャン州ギマランエス市に生まれ、フランスのソルボンヌで文学を、パリでは鉱物工学の学士号を取得した。農場主の息子として生まれたことから農業も試みたが、すぐに断念した。1857年にロマン主義・第二世代の特徴を持つ『密林のハープ』でブラジル文学界にデビューしたソウザンドラーデは他のいくつかの作品に奴隷制廃止論や共和制思想が見られることから、第二世代と第三世代の間の詩人と位置付けられている。
 フランス、ベルギー、チリなどを遍歴した後、アメリカ合衆国に落ち着き、『詩的作品』と『ゲーザ・エランテ』の数編を出版する。政治的にも文化的にも自立した新しいアメリカの文明を擁護していたソウザンドラーデは、ニューヨークのような都市集中化やウォール街の銀行を揺り動かした経済危機を目の当たりにした。そこで詩人は富と新しい競争において創られた民主主義の様々な側面を感じ取り、ブラジルの帝政とアメリカの思想とを比較するに至る。その結果、自由で共同体社会を形成する共和制ユートピアの精神をソウザンドラーデにもたらした。マラニャン州の州都サン・ルイースに戻って以降は、ギリシャ語の教師として細々と生活し、宣言されたばかりの共和制政治に参画した。そして1902年、当時の文人としては無名のままこの世を去った。
 このようにソウザンドラーデの作品は社会から疎外され、長い間忘れられた存在であった。しかしながら、批評家アウグスト・イ・アロウド・デ・カンポスの『ソウザンドラーデ再読』(1964年)の出版後ようやく、詩人はチャールズ・ボードレーヌやエドガー・アラン・ポーといった国際的に偉大な文人らとともに、近代文学先駆者の一人として評価されるようになる。詩「エデンの園」[3]は奴隷制廃止と共和制導入へと進む政治的変動の時期(1888年から1889年の間)に書かれた。この作品の中で、ソウザンドラーデは君主制の終焉とアダムとイヴの堕罪を寓意的に表現した。

おわりに

 ブラジルにロマン主義が導入された19世紀の30、40年代、つまり第一世代に属する詩人たち(ゴンサルヴェス・デ・マガリャンイスやゴンサルヴェス・ディアス)が綴った詩のテーマは自然の称賛、インディオ像の理想化、感傷主義などで、彼らの抒情詩に登場する女性像は美化され、触れてはいけない存在として描かれている。続く、50、60年代、アルヴァレス・デ・アゼヴェード、カジミーロ・デ・アブレウ、ジュンケイラ・フレイレ、ファグンデス・ヴァレーラらが活躍した第二世代の詩人たちの作品は、"世紀悪"の思潮と超ロマン主義の特徴である悲観主義、懐疑、青春期の幻滅、嫌悪などを呈している。彼らが好んだテーマは幼少時代の理想化、永遠の処女、死の賛美を表明する現実逃避である。そして70年代に至り、詩は単なる感情の悲嘆から遠ざかり、より具体的な形を取るようになった。第三世代最大の詩人、カストロ・アルヴェスの愛の詩はすこぶる官能的で、第二世代までの女性像を"青年段階の愛"と例えるなら、第三世代のそれは"大人の段階への入り口"と言えるだろう。こうして、コンドレイリズモ詩人、カストロ・アルヴェスは抒情詩においても社会詩においても写実主義の転換期に活躍した偉大な詩人となったのである。


[1] コンドレイリズモという言葉は、アンデス山脈の最も高いところを飛ぶワシの一種であるコンドルに由来し、自由主義の象徴となった。
[2] 聖書の登場人物。エジプト人奴隷で、イズマエルの母。
[3] 誕生したばかりの共和制を指す

 

BIBLIOGRAFIA

Bosi, Alfredo. História concisa da Literatura Brasileira. S.P., Cultrix, 1994.
Cereja, William Roberto & Magalhães, Thereza Cochar. Literatura Brasileira:ensino médio. S.P., Atual, 2000.
Davis, Darien J. "A evolução dos civis". In: AFRO-BRASILEIROS HOJE. Trad. de Felipe Lindoso. S.P., Selo Negro, 2000.
Nicola, José de. Literatura Brasileira das origens aos nossos dias. S.P., Scipione, 1993.
Tufano, Douglas. Estudos de Literatura Brasileira. S.P., Moderna, 1995.
Verissimo, Erico. Breve história da literatura brasileira. S.P., Globo, 1995.
田所清克&伊藤奈希砂編『ブラジル文学辞典』、彩流社、2000.


2004年1月9日
研究員 岐部雅之

 

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