「台湾日記・Formosa・麗しき島−台北の社会・文化に接して−」
Taiwan, Formosa, Splendid Island: A Consideration of the Taipei Society and Culture

顧問 古畑 稔

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 台北市内の免税店で休憩し、北部海岸の観光地・野柳風景特定区(野柳海岸自然公園)に向かった。その観光を終え、翡翠湾の岸辺にある太平洋翡翠湾福華渡假飯店(Howard Beach Resort Pacific Green Bay Hotel) で会食後、早目に部屋に入った。夏の海水浴シーズンが終了し、新学期もはじまったのか、宿泊客は多くなかった。ホテルの周辺にはなにもなく、孤立していた。部屋は、真和物産所長の向井操氏と同室であった。窓から仄かに見える翡翠湾は、闇のとばりの中に静かに夜明けを待っているようであった。その景色は日本的な叙情をたたえ、ここが海外であるという気持ちは少しも湧かなかった。台湾の第一日の旅、台北市内の免税店から野柳海岸自然公園まで、ホテルに着くまでを振り返って、愁眠するには十分の時間があった。
 台北市内の免税店から雨の港町・基隆市(一年に272日、雨降る港町)までは高速道路であり、旅を一層快適にした。高速道路の料金徴収は女性が行っており、マスクをしていた。廃ガスと粉塵対策のため、奇麗な顔(鼻と口)を被っていることを理解することは難しくなかった。ガイドの黄さんによると、若い女性の起用は、ソフトムードを醸し出し男性ドライバーの高速料金の不払いを未然に防止、進んで支払の気持ちを起こさせる手段であるとのこと。台湾の男性は女性に優しく親切だと聞いたが、まさにその象徴の一つであろうか。基隆市から野柳海岸自然公園へ向かう車窓からみる台湾の街並み・家の壁は、平均してカラフルではなく黒ぽっく見えてならなかった。民族伝統の美なのか。私はそれを多分、亜熱帯の黒っぽい土壌によるものではないかと勝手に考えてみたが、分かる由もなかった。車窓の右側に遠く見える高台の金宝山霊園には、アジアの歌姫テレサ・テンの墓もあり、しばらくして野柳海岸自然公園に到着した。野柳海岸自然公園は、台湾北部を代表する風光明媚な観光リゾート地である。太平洋の荒波と風が歳月をかけ彫刻した奇岩は見事である。観光者のために人為的に創作されたかに感じられる奇岩もあったが、ガイドの黄さんは言下に自然の作品であると力説した。返す言葉はなかった。それにしても太平洋の彫刻家たる荒波と風は、何の化身であろうか。ノーベル賞に値する出来映えである。
 千年を一日の如く生きる彫刻家、荒波と風の、寄せては返しまた寄せる、長い長い努力の結晶であると思った。人間の人生100年ではなし得る技ではないと思った。奇岩観賞の入口の前には、雨除けアーケイドを冠したレトロ諷の商店街があり、素朴な裸電球が揺れていた。何故いまのご時世にこんな旧い商店街が観光地にあるのか疑問に思ったが、台湾観光協会の観光戦略か、街並み保存からか、使い捨て時代の反面教師か、そのいずれかであろうと自分を納得させた。風情この上もなかった。奇岩美に魅了された写真家、弘大金属工業・森健社長は、日本から持参した愛用のカメラで、ガイドの黄さんの心配をよそに、景観と奇岩が織りなす不思議な美に幻惑されるが如く、少々離れた突端・波際の円い石の上から写真を幾枚も撮っていた。森健社長は兵庫県写真展の入賞者。芸術写真は撮れたのか。カメラは、独製のライカか。
 野柳海岸自然公園の夕暮れに映える姉妹。姉妹とは、関西ドラム缶工業の前社長夫人・久保晴美さん、現社長夫人・岩崎晴子さんの二方のことである。(以下、姉・妹さんと呼ばせて貰うことあり)。私は、往路の機内で、岩崎晴子さんと席を交換したが、団地内で隣人同士である関係もあり、ゆっくり話す機会に恵まれた。景勝地・野柳海岸自然公園の夕暮れは、対照的な形と彩りで二人を映しだしていた。妹さんは主婦であり、同社の事務責任者である。妹さんに誰かが高校生に見えますよと言ったが、姉さんのカジュアルな旅
スタイルも洗練されていた。姉さんに、「お母さんですか」と聞いた不心得者もいたが、「もう少し若くみてよ」と切り返された。失笑された。〜(失礼しました)。
 ご夫妻で参加されたのは、エボシ製作所取締役の矢野官知氏と夫人の智子さん、フクヱイ工業社長の広田久明氏と夫人の静子さんの二方であった。落日後の夕暮れは、奇岩を一層魅惑的に演出しその美を奏でる。追憶と感傷を醸し出す雰囲気の景勝地である。両夫婦はその中にいた。少し離れて所で観賞していた。太平洋の波と風は、静かで穏やかだ。団体旅行の中の「夫婦のツアー」(夫婦水入らず旅)を、祝福しているように見えてならなかった。広田社長、矢野取締役には、夫人の内助の功に感謝している姿が、夕暮れの慕情に垣間見えた。非常に印象的であった。

 

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