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「台湾日記・Formosa・麗しき島−台北の社会・文化に接して−」
Taiwan, Formosa, Splendid Island:
A Consideration of the Taipei Society and Culture
顧問 古畑 稔
(4頁/12頁)
台北故宮博物院の観賞は2時間という、短い時間であった。その感動の余韻は観光専用バスの中でも消えなかった。皇帝、統治者の変遷と戦乱、風雪に耐えて、これ程までに維持されていることに、中国の五千年の歴史の重み、民族とその意志に感嘆した。
観光専用バスは、「忠烈祠」の前に止まった。本殿は北京の紫禁城の大和殿を模し建造された建物。中国・国民党政府のために戦死した戦没者の霊を祀った廟。私は、少し前かがみで、真摯な心で参拝した。ガイドの黄さんは、儀仗兵・衛兵の交替式を、観光客である私たちに、どうしても見せたかったようである。その時間に間にあったので、ほっとした様子が伺えた。儀仗兵は、陸軍(軍服は緑色)、海軍(白)、空軍(青)、海兵(上服は木膚色)、下服は陸軍と同じ緑)の4隊からなり、忠烈祠、中正記念堂、慈湖(故蒋介石総統の墓)の3ケ所を3ケ月ごとに巡回するとの由。忠烈示司の儀仗兵(軍服は青)の交替儀式は、1時間ごとに行われ、厳粛にして格調の高い絵図である。英国のバッキンガム宮殿やバチカンのスイス衛兵と通底するものを感じた。儀仗兵は、不動にして表情は微動だにせず、交替時の整然した一糸乱れぬ姿は、荘厳で静寂であり、芭蕉の俳句とも相通じる「わび」と「さび」の日本的美意識が感じられた。
ガイドの黄さんの表情は、とりわけ感傷的に見えた。不心得者が、「黄さん、結婚していますか」と尋ねると、困った表情をして、「それが一番、弱いのです」と恥じらいの仕草を見せた。台湾には徴兵制度があり、特別の事情を除いて20歳から兵役に従事する義務がある。3〜4年の兵役を経て除隊するとの由。それから見ると儀仗兵の年齢はみな同年代のはずだ。若く格好の良い儀仗兵は、台湾の若い女性の憧れの的であろうと思った。
「高校時代は、格好の良い儀仗兵に憧れて、忠烈祠の前を通学するのが楽しかった。儀仗兵は一定期間で交替するが、その格好良さと若さ・年齢は変わらずいつも同じです。高校時代は、私は彼等の年下、一年ごとに年を積み重ね、彼等と同年代の時もあったが、30歳を越してしまった」と、日本・カナダに留学経験のある台湾政庁公認ガイドの黄さんは言った。不心得者は、今晩ビールを御馳走しますと言った。有難うと返事をされた。
台湾での最初の昼食は、「飲茶」であった。昼食は、12時少し過ぎの食事となった。午後の行程は、中正記念堂の参観から始まった。中正記念堂に向かう車中で、中正記念堂についての、参観前の説明があった。ガイドの黄さんは、"迷子"になった場合の対応について、事例をあげ懇切丁寧に説明した。(私は、ここは外国・台湾のため、良く聞いた)。
中正記念堂の本堂に上がるには、石段が88段あり、これを上り参観する。参観者22人の内、石段を登り参観した者19人、エレベータ利用者3人、私と、体調を気遣って同乗していただいたのは、添乗員・大嶌聖喜と向井操氏である。儀仗兵(軍服は白)に守られた故蒋介石総統の巨像は、等身大を悠々と上回り、威風堂々の姿であった。参観者の中には、日交の柴崎美和氏と千里ノルテの社長夫人・枝松真美さんと娘・直子さんの姿もあった。参加者23名で最も長身の人は、柴崎美和氏である。最も長身の女性は、枝松直子さんである。儀仗兵を等身大で見つめる八等身の直子さんに、母が横から「儀仗兵」て素敵だねと語りかけているように見えた。団体旅行の中の、母と娘の二人旅にもまた別の雅がある。
柴崎美和氏と枝松直子さんは、どこからみても立ち姿が目立つ二人であり、迷子にはならない存在だ。だが、そんな二人でも、目前高く鎮座する故蒋介石総統の巨像前では、魔法にかかったように小さく見えた。記念写真を撮り、回廊を右に回って、出口に向かって下段した。右側の出口には、観光専用バスが待機しているはずだ。ひとり迷子が発生したそれは私であった。私は、誰よりも先に石段の数を唱えながら下段し、前方へ進み出口らしき建物に着いて、ふと振り返ると誰もいないではないか。発見されやすい場所、遮る物のないところに立つことにした。大嶌聖喜氏と数名の方から「迷子の私」は発見された。私は遅れて仲間入りした。その時、暑さの影響で一瞬、朦朧として意識が遠くなった。私の目前で「倒れそうになったでしょう」と声をかけたのは、岩金留美さんであった。長身の柴崎美和氏と枝松直子さんもいた。
観光専用バスは、中正記念堂の正門・アーチの前に、一時停車した。正門・アーチの高さは33m、中正記念堂の高さは70mである。正門・アーチの中央上には、故蒋介石総統の座右の銘である「大中至正」の文字が大きく刻まれている。車窓から遠望する中正記念堂は、その距離感を超克し威風堂々として鎮座し、青き屋根と白い壁は、中華民国の理想と象徴のように思えた。故蒋介石総統に対する歴史評価は、種々あると思うが、中国の長い歴史の上に記憶される統治者の一人であると、浅学の私は思う。
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