「台湾日記・Formosa・麗しき島−台北の社会・文化に接して−」
Taiwan, Formosa, Splendid Island: A Consideration of the Taipei Society and Culture

顧問 古畑 稔

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 学問の神様を祭祀する孔子廟へ参観・参拝する。孔子・孟子などの儒教の賢人、そして別棟には孔子の弟子が祀られている。中国宮殿建築の美しさも見事である。
 孔子様には、「孫二人への知恵の授かり」と「孫二人が落ちこぼれない」ようにお願いした。小1の孫・男児は、学校に8時15分登校し、帰宅は17時という日課である。放課後は遊びに夢中。幼稚園年少組の孫・男児は、小1の孫以上に遊び好き、トランプが大好である。孔子様には、いろいろお願いしたかったが、最低限度にとどめて、御利益のあることを祈願した。孔子廟には、お守りの授け所があった。団地組合の高校生以下の子供をもつ母と孫をもつあばあちゃんが揃って買った。ただ一人の男性は、高いお守りを買えば、御利益があると思って、孔子様の靴型をした水晶荘のお守りを買って自己満足している。それは私である。
この項の作成に際し、岩波文庫『論語』(2002年12月発刊 金谷 治 訳注書)を読んでみた。『論語』は、孔子を中心と弟子の言行録である。若い時に読んたが、古くて新しく、今なお、人生の指針になることを感じる。
 医学の神様を祭祀する大龍山同保安宮は、孔子廟の隣にある。横門から出ると右斜め向こうに見える。その距離は至って近い。大龍山同保安宮様には、私と妻の不老長寿と娘家族の健康を祈願した。私は矢っ張り欲張らず、最低限度のお願いをした。健康の神様と学問の神様の二方が、隣接して鎮座するこのエリアは、参観・参拝者が行き交う門前町である。何故、そうなのかと考えてみた。台湾が世界史の舞台に登場するのは、1554年のポルトガル船による発見に始まる。台北市の歴史はそう長いものではないが、18世紀初頭から福建省人の現在の萬華への移住が始まり、その後移民者の数を増やし、19世紀初期には商業の隆盛期を迎え、当時の台湾の三大都市の一つに発展し、台北市の発祥の地となった。今から参観・参拝する大龍山同保安宮は、大同区の「淡水河」と湖畔の古の移民集落にある。これら移民者たちは、福建省の土地神と生活習慣を持ち込み、淡水河の河畔の広くない居住地に定着したさせた。その結果であると思われる。移民者が持ち込んだ福建省の思想、習俗とその開拓意欲は、台北市の今日の発展に収斂されたと思われる。
 大龍山同保安宮は、龍山寺、清水巌祖師廟と鼎立して、台北市の三大名刹のひとつに称される寺廟である。福建省同安縣から移住した人々が、故郷の分身たる保生大帝の神像を、この地・大龍山同に医学の神として祭祀する。これが大龍山同保安宮の源流である。大龍山同保安宮の建立日は、諸説あるようであるが、参観する大龍山同保安宮の建築は、広大、造形雄渾にして、その緻密な彫刻美は、台湾の宗教建築・寺廟の芸術の粋が凝縮・表象されている由。大龍山同の主神は、宋朝時代979年に福建省須同安縣に生まれ、博学を持って知られ、医学にも精通し、医術で多数の衆生済度した呉という人である。没後それに感謝した人々は、彼を保生大帝と崇め、神として祀った。台北の大龍山同保安宮には、主神・保生大帝のほかに、神農大帝・孔聖夫子・関聖帝君・玄天上帝・天上聖母・注生娘娘・福徳正神の神々が祭祀されている。

 

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