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「台湾日記・Formosa・麗しき島−台北の社会・文化に接して−」
Taiwan, Formosa, Splendid Island:
A Consideration of the Taipei Society and Culture
顧問 古畑 稔
(10頁/12頁)
14時00時すぎ、出国手続きを終えて、私と向井操氏は、C4キャセイ・パシフイック航空の搭乗待機室に向かった。途中、奇麗な免税店が左右にあったが立ち寄らず動く歩道で、C4の入口階段から下段した。搭乗待機室には、誰一人としていなかった。しばらくして、苅田建設工業の苅田光徳会長、協同機器工業部長の西七五三氏の二方かみえられた。苅田会長の「景気はどうですか、儲かっていますか」との問いかけから、経済談義が始まった。深刻な経済認識については同じであったが、みな終始なごやかであった。出発時刻の40分前の15時20分頃には全員集合した。添乗員の大嶌聖喜氏が、参加者・全員23人を確認した。今回の旅は、尼崎武庫川工業団地の設立30周年記念行事として企画されたものであるが、組合員企業には、多忙などの事情もあり、全社の参加とはならなかった。次はそうあらねばならないと思った次第である。今回の参加者は、男性単身7名夫人同伴2組4名、女性12人の計23名です。苅田会長、ハンシンの黒田社長、弘大金属工業の森社長、西部長、向井所長は、いずれも単身の参加。団地組合の先輩の方々の参加で、旅の目的は稟としたものになった。
台北国際空港を定刻、16時05分(台湾時間)離陸した。私の機内の席は5人掛けであり、関西ドラム缶工業の前社長夫人・姉の久保晴美さん、現社長夫人・妹の岩崎晴子さんと向井氏と私の4人であった。私の前列の席には乗客は誰もいなかった。途中、旅慣れた姉の久保晴美さんは、前列の席に移動し、ゆったりとしていた。妹の岩崎晴子さんは、そのままであった。私もそのままであった。それは万一の場合、自分の所在を確認して貰うことが困難だからである。人それぞれの心情は異なるが、妹・岩崎晴子さんも同じではないかと思った。その横顔には、旅の満足と主人・会社への思い、そして母としての責任が隠せなかった。社長夫人・岩崎晴子さんは「主人に、頑張ってもらわないと」と言い、二人での旅は今は出来にくいといった。主人を支え家業を守る、社長夫人としての姿と意志が純粋にみえた。
関西国際空港には、定刻19時45分(日本時間)少し前に着陸した。帰国手続きを別々に済せた。その中に、フクヱイ工業の広田久明社長と夫人・静子さんの元気な姿もあった。広田社長夫妻とは、関西国際空港出発時のキャセイ・パシフイック航空の搭乗待合室で、同じベンチで搭乗を待った。広田社長が売店にボールペンを買いにいった際に、静子夫人は「私は、海外旅行は初めてなんですよ」と、私に話しかけた。それは3日前の朝であった。いま帰国し、家路に向かう夫妻、静子さんの姿は晴れ晴れしく、主人への感謝と満足の笑みがこぼれていた。エボシ製作所の矢野取締役も夫人同伴であったが、残念ながら、矢野夫妻の姿は見失ってしまった。添乗員・大嶌聖喜氏は、参加者の帰国手続き見守りながら自分も済ませ、全員完了を確認して、挨拶し別れていった。永穂嬢は、家路に向かう皆の後を歩き、空港リムジンバス乗り場へ向かっていた。〜(最後まで有難う)。
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