「『ドン・カズムーロ』(伊藤奈希砂・伊藤緑、訳)の梗概」

 一言でいえばこの作品は、"陰気"で"メランコリックな"性格から、周囲に「ドン・カズムーロ(陰気な男)」と呼ばれるようになる主人公ベント・サンティアーゴ(以下、ベンチ―ニョとする)自身が、一人称で物語る小説である。老境にある「陰気な男」が青春を取り戻すために、いわばフラッシュバックの手法で過去を回顧する(『ブラース・クーバスの死後の回想』と共通している)もので、主人公の言葉を借りればそれは、人生の生と死の両端を結び合わせる作業に他ならなかった。小説『陰気な男』の叙述は、この点からいえば、過去に生きることと幼少・青春時代についての内省という、二つの要素から構成されている。
 ベンチ―ニョの過去、なかんずく青春時代の回想は、1857年の11月、居候の身のジョゼー・ディアスが、ベンチ―ニョと隣家の14歳になる少女カピトゥーとの親密な関係を、主人公の母親グローリア夫人に密告することから始まる。
 母親は、わが子が無事生まれたら将来は神父にする、と生前、神との間で交わしていた約束を果たすべく、息子を神学校に入れる。が、ベンチ―ニョはベンチ―ニョで、なんとか神学へ行かずに済む方策をカピトゥーといっしょに考えるが、それもことごとく失敗に帰する。とどのつまり、ベンチ―ニョはカピトゥーとの結婚を誓って神学校の門をくぐる。彼はそこでエスコバールと知り合いになり、二人は固い友情で結ばれるようになる。
 愛する幼友達との結婚のために一日も早く神学校を抜け出たい一心のベンチーニョは、居候のジョゼー・ディアスの介添えで、念願の学校を中途退学することになる。そして、法律を学び弁護士となりながら、長年の夢であったカピトゥーとの結婚が叶う。同じく神学校を退いたエスコバールは、カピトゥーの大の親友サンシャと結婚、双方の夫婦はまるで一つの家族のような、睦まじい親密な関係を維持する。ベンチーニョとカピトゥーとの間の満ち足りた仕合せな結婚生活の中で、唯一欠けていたのは二人に子供がいなかったことである。しかし、その悲願は達成され、愛の結晶ともいうべきエゼキエルが誕生する。夫婦はつかの間の至福の時を過ごすが、その家族団欒の仕合せな生活にもかげりが見え始める。
 生来、嫉妬心の強い男であったベンチーニョは、あるいくつかの事件をきっかけに、妻カピトゥーとエスコバールの関係に疑いを抱くようになる。つまり、自分の息子エゼキエルと心の友エスコバールの容貌が瓜二つであったので、主人公の猜疑心は募る一方になる。しかしながら、さりとて妻と親友との関係を疑うに足りる、確証はない。やがてエスコバールは海で溺死する。通夜の折、カピトゥーが見せた仕草なり態度は、ベンチーニョに対して、妻の不義をますます確信させるものにした。そして彼は、あれやこれやと想像をめぐらせながら、件の問題について解釈を試みる。
 成長するにつれて、息子の風采がますますエスコバールに似ているのを感じ取ったベンチーニョは、妻の不倫を確かなものとした。自らの不憫さに一時は自栽を試み、妻への復讐の意味で息子を殺すことさえ考えた。当然のことながら、嫉妬心に燃え、やり場のない憤怒の念にかられた夫と、カピトゥーとの夫婦関係は次第に冷めたものになり、挙げ句の果て、二人は別々に暮らすようになる。つまり、ベンチーニョがカピトゥーと息子をスイスへ追い払うのである。
 ある日、ひょっこりとエゼキエルが家に帰って来る。その体躯、顔立ちは、まさに死んだ親友そのものだった。エルサレムの地で考古学を学ぶ息子ベンチーニョに対して経済的な支援を約束するが、その息子も探険中、熱病で死んだという知らせが舞い込む。「陰気な男」は内実この時、気の安らぎさえ覚えるのである。
 こよなく愛する女性と結ばれ、信頼できる親友にも恵まれ、社会的にも立身出世して仕合せになるはずの人生が、畢竟、二人の裏切りによって台無しになってしまった、とドン・カズムーロは振り返る、生と死という人生の両端を結び合わせながら。

主幹 田所清克

 

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