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2.多神教から一神教への分岐点
ユダヤ教の歴史、それはユダヤ人の歴史的な歩みを直接反映しています。今回は、学問上の論争点を避け、すでに定説となった事項を中心にしてお話を進めます。
桃山学院大学の滝澤武人教授が、『中外日報』(2000年5月23日)の中で、アブラハムの「旅」について言及しています。現在のトルコ東部、シリア国境沿いにある小村「ハラン」より、アブラハムは「乳と蜜の流れる地」、カナン(現在のパレスチナ)に出発します。滝澤教授によると、その動機は「アブラハム自身の霊感、霊の働きである強い衝動あるいはインスピレ−ション」でした。アブラハム、イサク、ヤコブと続く、古代ヘブライ人の「族長時代」がユダヤ教の出発点となるわけですが、ここで強調したいのは、族長が遊牧民(英語:ノ−マッド)であったとみなされる点です。農耕定住民であった日本人が遊牧民の心情を理解するのは、必ずしも容易なことではありません。堀内勝氏『砂漠の文化:アラブ遊牧民の世界』(教育社歴史新書、1979年)を参照すると、遊牧民が自然の神性と密接に関係して生活をする記述が印象的です。多くの自然現象の中に多くの神々が宿るという点で、これは多神教の世界観ではないでしょうか。日本人の宗教意識に多大の影響を与えた「八百万の神々」を考えていただければ判りやすいと思います。
古代ヘブライ人の族長も「父祖の神」として多くの神々を信仰しましたが、その中から一柱の神を選び集中的に崇拝してみようとする動きが起こりました。それが「エル・シャダイ」という、いわば「まとめ役」の神の登場であり、学問上では「一神礼拝」という用語で説明されています。下記に簡単に整理してみましょう。
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・ 多神教における守護神礼拝 [Polytheism] ・
・ 守護神礼拝 一神礼拝 [Monolatry ] ・
・ 一神礼拝 一神教 [Monotheism] ・
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古代ヘブライ人の族長は、未だ完全な一神教信仰を持っていたとはいえませんが、後一歩のところまで接近していました。しかし、私たちの生活をみても同じですが、後一歩を踏み出せないのが常の世の人間です。エル・シャダイだけを残して、他の神々を全て捨て去るのは論理的には可能ですが、心情的には思いつかなかったのかもしれません。ここで必要とされるのが何らかの革命的存在ということになります。常識を超越した決断、ユダヤ教史の中でその役割を担うのが「モ−セ」の活動です。
モ−セについては、スペクタクル映画「十戒」で有名ですが、十戒(出エジプト記20章2−17節及び申命記5章6−21節)、すなわち10の戒めの第一戒は「あなたは私に対して他の神々を持ってはならない」です。この第一戒は一神礼拝をも明確に否定するもので、事実上世界最古の一神教の信仰告白(クレド)であるといって問題ないと思います。「シェマ・イスラエルの祈祷」(申命記6章4−5節)は、モ−セの第一戒を忠実に受け継いだ一神教の思想そのものです。「聞け、イスラエル、我らの神、主は唯一の主なり、汝、汝の全心、全霊、全力を尽くして汝の神、主を愛すべし」、この一神が「ヤ−ウェ」という秘められた名前を与えられ、現在のユダヤ教典礼まで変わることなく続いていきます。
しかし同時に、多神教と一神礼拝の段階であった寛容さが、一神教の発生で失われたことは否定できません。多神教のシンボルでもあった偶像崇拝の禁止、異教の民を滅ぼすべきとする「聖戦思想」を一神教は体系維持に採用せざるを得ませんでした。聖戦において敵を皆殺しにする「奉納物」(ヘレム)
の思想が旧約聖書には明確に記述されています。
古代人の苛烈さをまざまざと想起させる排他主義は、実は一神教の根底にある思想的問題なのです。十字軍もそうですし、ユダヤ教〜キリスト教の延長線上で確立されたイスラム教の「ジハ−ド」も同様に理解すべきでしょう。ただ、「人道的」でないといって無視できない問題が、そこには確かに含まれています。
主任研究員 古畑正富
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