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4.救いを待つ民衆、メシア思想
バビロニア捕囚後、故国に帰還したユダヤ人は再び王国を建設することになりますが、それは長く続くことがありませんでした(ハスモン王朝)。ヘロデ王国を経て、ロ−マ帝国により王国は再び滅亡し、現在に至る離散ユダヤ人(=ディアスポラ)の苦難が始まりました。この激動の時代にユダヤ人民衆を鋭くとらえたのが「メシア思想」です。死海写本(4Q246)という、クムラン出土の「神の子文書」を見ると、「審判と救済史観」が発展し、黙示文学的な特徴を強く示しています。
ステップ1 混沌の状況
ステップ2 王国への言及
ステップ3 神の子
ステップ4 世界支配
ステップ5 勝利の約束
死海写本は「最後の王が立ち、そして、彼は...偉大な神の子と呼ばれるであろう」と述べています。この点に関し、当時のユダヤ人民衆を指導したパリサイ派は次のように考えていました。ヤ−ウェはダビデと(養子縁組による)父子関係を結び、その王朝を永遠に守護するため、自分の名前を置く唯一の場所として「シオンの山」(=エルサレム)を選んだ、と主張したのです。メシア、ヘブライ語では「油注がれし者」といいますが、彼はダビデ家の血筋より生まれ、ユダヤ人の救世主になるというのが、彼らの強い信念でした。
しかし、その考え方に異議申し立てを行なったのが、イエスと弟子たちです。イエスの教団は、指導者であるイエス自身をメシアと考え、旧来のユダヤ教戒律主義を脱却して、新しいム−ブメントを起こそうとするのですが、失敗して処刑されてしまいます。マルコ福音書15章39節は「まことに、この人は神の子であった」と伝えますが、福音書の受難物語は歴史の客観的な報告ではなく、原始キリスト教団の信仰により再編集されています。殉教者の死が敵方の刑吏をも改心させるといった護教的なモチ−フを取り除くと、本当のところ、死刑執行人である百人隊長は「おい、みんな、笑わせるじゃないか。せっかくエリヤとやらが助けにくるというのに、あっさりとくたばってしまった。本当に人騒がせな神の子だったな」と嘲ったのかもしれません(滝澤武人『福音書作家マルコの思想』新教出版社、1995年他を参照)。
ただ、歴史的に興味深い点は、イエスの死がそれだけで終わらず、「十字架の神学」となり、キリスト教の展開を生みだしたことです。私はこの分野を専門にしていないので、確かなことは語れませんが、イエスの弟子たちが持っていたユダヤ人的な、あるいは、古代ヘブライ人的な感性が大きな意味を持っていたように思われます。ユダヤ教が成立する基盤になったのは、バビロニア捕囚の苦難の内にユダヤ人が常に夢見た故郷エルサレムと神殿に対する強い憧れでした。「さすらいのアラム人」と旧約聖書で自分たちを評した、古代ヘブライ人の感性はさすらう遠心力と共に、心の故郷を強く求める二律背反的な気持ちを含んでいたように思えます。それでは、イエスの弟子たちの心の故郷はどこにあったのでしょうか。ユダヤ人は、かつてのダビデ王朝、それを生み出したエルサレムの地に置き、民族的なアイデンティティーを希求しました。しかし、ユダヤ人共同体より離れたイエスの弟子たちは、自分たちが信じた人間「イエス」に求心点を置くしかなかったのではないでしょうか。人間が人間に対して抱く関心、同じ古代ヘブライ人の唯一神信仰を出発点としながら、ユダヤ教が民族宗教の枠内を破れなかったのに対して、キリスト教は普遍的な、世界宗教への道を歩むことになります。一神教自体、人間の自然な感性とは逆の方向性を内包するのですが、その矛盾を超越して、キリスト教が世界帝国ロ−マの民衆の心をつかんだのは、一人の人間に対する純粋な思慕と信頼だったのではないでしょうか。人間に対する深い感情こそが、さまよえる世界の民衆を常に慰めてきたように、最近強く感じているのです。やはり、メシアは「人の子」として生まれてきたのかもしれません。
本日は、どうも有難うございました。簡単な話でしたが、もし、皆さんがこれを契機にユダヤ教に対する興味を少しでも持って頂ければ幸いです。
本文は、「出会いーキリスト教講演・講話集」Vol.11(2001年3月)、桃山学院大学キリスト教センター、pp.81-92
に初出された。詳しい註は付けなかったが、再録するにあたり、本文中に引用しなかった参考文献を下記に若干数を整理する。
[本文中以外の参考文献]
Books Esoterica 13『ユダヤ教の本ー旧約聖書が語るメシア登場の日』学研、1995
金井・月本・山我(編)『古代イスラエル預言者の思想的世界』新教出版社、1997
A.ウンターマン著『ユダヤ人ーその信仰と生活』(石川・市川訳)筑摩書房、1983
R.J.コギンズ著『サマリヤ人とユダヤ人』(渡辺・土岐訳)教文館、1980
A.マアルーフ『アラブが見た十字軍』(牟田口・新川訳)リブロポート、1986
Brettler,M.Z.,God is King: Understanding an Israelite Metaphor,
(JSOT Sup. 76), Sheffield,1989.
Emerton,J.A.,"The Mountain of God in Psalm 68:16", in
A.Lemaire & B.Otzen(eds.),History and Traditions of Early
Israel: Studies Presented to Eduard Nielsen, Leiden,1993, pp.24-37.
Ishida,T.,The Royal Dynasties in Ancient Israel(BZAW 142),Berlin/New
York,1977.
Puech,E.,"Notes sur le fragment d'apocalypse 4Q246:<Le
fils de dieu>",RB101(1994),pp.533-58.
主任研究員 古畑正富
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