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「ブラジル映画のみどころ」
日本ではほとんど見る機会のないブラジル映画。仮にブラジルが文化的にフランスやアメリカの地位にあるならば、あるいはもっとメジャーな言語を話す国であれば、日本でもブラジル映画がもっと上映されるのではないだろかと、根拠があるわけではないが、そう思ったりする。ブラジルにも名作はある。色々な映画祭でグランプリーに輝いたり、何らかの賞を獲得した作品もある。こういった作品ですら、日本ではなかなか見られない。でも、いつか日本で空前のブラジル映画ブームが到来することだってあるかもしれないので、そのために備えて、今回からブラジル映画史に残る名監督や映画の紹介をする。
第1回 HUMBERTO MAURO監督
批評家や映画研究家、シネマ・ノーヴォの映画監督に認められたブラジル無声映画時代の最も注目された映画監督。もちろんトーキに入ってからも活動を続け、その評価は高い。
フランスの映画史家ジョルジュ・サドゥールは彼のことを「偉大なる映画人」、「ラテンアメリカの映画芸術のパイオニア」、「映画の巨匠として世界的に名を馳せるべき」人物だと評した。グラウベル・ホーシャはマウロをシネマノーボの最も重要な先駆者として評価する。一方アンダーグラウンド映画のホジェーリオはマウロが低コストで直接的な作品を作ったことから、60年代後半の低予算アバンギャルドフィルムの祖とした。
ブラジルの無声映画
ブラジルでオムニグラフが初めて上映されたのが1896年。1908年から無声のフィクションが製作され始める。1910年以降、アメリカ映画が参入すると、国産映画は後退。リオ、サンパウロではドキュメンタリー以外は生産されなくなる。しかしながら、地方で自主制作をするアマチュアが続出。ウンベルト・マウロもその一人で、ミナス・ジェライスで映画製作を開始。素人ながらも、作品のクォリティーはこの時期の他の映画と比較してずば抜けて高く、地方にとどまらず、リオやサンパウロでも上映され、大成功を収めた。
ウンベルト・マウロ監督について
1897年、ヴォルタ・グランジ (ミナス・ジェライス州)生まれ。13歳の時、カタグアゼスへ移る。映画好きで、アメリカ映画監督、ヘンリー・キング、
グリフィスの影響を受けて、映画製作を開始する。地元商店の援助を受けて、イタリア人写真家、ペドロ・コメッロとペボ・フィルミを創設し、処女作
Primeira da Vida (1926)を製作。2作目、Tesouro Perdido(1927)が好評で、映画雑誌、"Cinearte(シネアルチ)"が選ぶ1927年の最優秀映画賞を受賞。第3作目はBrasa
Dormida(1928)。この時、すでに映画界のカリスマ的存在になっていた。1929年に製作したSangue Mineiroを最後にカタグアゼスでの制作活動を停止する。
アデマール・ゴンザーガ(i)に誘われて、マウロはリオへ移る。そこで映画プロダクション、シネジアの第一作目Labios
sem Beijos(1930)の監督を務める。彼の第一作目のトーキ映画はGanga Bruta(1933)。この映画はマウロの代表作とされているが、当時は観客に理解されず、評価も悪かった。1961年、カタグアゼスで開催された回顧展で、シネマノーボの監督や映画評論家によって「再発見」され、絶賛された。
その後、マウロはシネジアを去り、カルメン・サントス(ii)の映画プロダクション、ブラジル・ビタ・フィルミスでFavela
dos meus amores(1935) を製作。1936年、Cidade mulherを監督後、このプロダクションとの契約を解消。O
descobrimento do Brasil (1937)の製作を通じて国立教育映画協会(Instituto Nacional
de Cinema Educativ)のロケッチ・ピントに見初められ、そこの専属映画監督として採用される。1967年まで協会の技術部長を務める。1983年死去。
マウロ主要作品
(ビデオあるいはDVD化された作品の中から)
Brasa Dormida
ストーリー
ルイス・ソアレスは博打好きがあだとなり、親からの経済援助を切られてしまう。学業を捨て、砂糖工場の部長の職に就く。そこで社長の娘アニタと知り合い、二人は愛し合うようになる。職を失った元部長ペドロ・ベントは、ルイス・ソアレスに逆恨みをして、社長に無名の手紙をだし、二人の恋を暴露する。この手紙を読み、社長は娘を工場から遠ざける。恋人に会いにルイスがアニタのいる町まで行っている間に、ペドロ・ベントは爆弾を工場にしかける。ルイスが戻り、ペドロと喧嘩になる。ペドロの死でこの騒動は終わる。社長はアニタとルイスの結婚を許す。
Sangue Mineiro
ストーリー
カルメンは、大金持ちの養女。妹が自分の恋人とキスをしているシーンを目撃し、ショックを受ける。あまりの悲しみに彼女は自殺をしようと、湖に身を投げるが、通りかかった二人の若者に助けられ、彼らの家に運ばれる。二人は彼女のことが好きになる。一方、家族は彼女の行方を探す。家族と再会。カルメンは妹と元恋人を許す。若者二人のうちの一人にプロポーズされ、それを承諾する。もう一人は自分の彼女への気持ちを明かさずに胸にしまいこむ。
Ganga Bruta
ストーリー
マルコスは才能あるエンジニア。結婚初夜に妻が処女でないことを発見し、誤って殺してしまう。逮捕されるが、名誉に対する正当防衛という判決を受け、釈放される。自由の身になったものの、同じ町には住みづらく、発電所を建設中の奥地の町へ移り、人生の再スタートをしようとする。その町で、ソニアという名の若い女性と知り合い、好きになってしまう。ただし彼女にはフィアンセが。彼女もいつしかマルコスを想うようになり、やがて二人は結ばれる。最後にはマルコスとソニアは結婚する。
参考文献:
Andries, André. O cinema de Humberto Mauro. Rio de Janeiro,
Funarte, 2001 Monteiro,
Bilharinho, Guido. Cem anos de cinema brasileiro. Uberaba, Instituto
Triangulino de Cultura, 1997
José Carlos. História visual cinema brasileiro.
Rio de Janeiro, Funarte, 1996
参考WEBサイト:
http://www.cineclick.com.br/cinebrasil/historia_br.html (映画の写真が見れます)
http://www.angelfire.com/vt/natvh/c/humberto.htm
(i)アデマール・ゴンザーガはブラジル映画界に数多くの業績を残した監督の一人。映画制作会社シネジアの創設者。
元ジャーナリスト。様々な映画雑誌に映画評論を書いた後、映画雑誌「シネアルチ」を刊行。ブラジル映画の普及に努めた。
(ii)カルメン・サントスは女優兼監督兼映画制作会社ブラジル・ビタ・フィルミスの創設者。マウロの作品 Sangue
Mineiro、Favela dos meus amores、Cidade mulher 、Argilaに出演。
研究員 山下豊子
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